アガサ・クリスティーがメアリ・ウェストマコット名義で著した『暗い抱擁(原題:The Rose and the Yew Tree)』。
私はクリスティーの描き出す人間の愛の姿が大好きなのですが、
本書はまさにその愛に焦点を当てた作品。
とても感動したので、今回はあくまで私個人の感じたイザベラの愛について書こうと思います。
本書の購入に至った理由は、ハヤカワ文庫の裏表紙の紹介でした。
「男のために新たな道を歩き始めた女の姿をキリスト教的博愛をテーマに描く至上の愛の小説」。
とても惹きつけられる文句です。
キリスト教的博愛。
まずここついて考えてみます。
博愛といえば、全てのものを平等に愛すること。
たしかにイザベラは親族、ノリーズ、そして下品なパーティの面々等、多くの人に平等に愛を注いでいます。
ただしゲイブリルだけは特別です。
そして本書の肝は、イザベラの彼への思いがどのようなものであるかという所にあると思います。
博愛は勿論大切な理念ですが、人生が選ぶことである以上、人間による達成は難しいものです。
彼女の選択によって、ルパートは恐らく大変傷つきました。
イザベラは「選ぶなんてこと、できるものでしょうか、何についても?」
という言葉を残しますが、それでも私は彼女は無意識に選択をしたと考えます。
イザベラは大変に自然な女性ですが、多くの人が望む道を避け、ゲイブリルのみが望む道に進みました。
そしてノリーズの回りくどい誘いにも乗りませんでした。
運命に身を任せながらも自分自身が強くあるのだと思います。
強いイザベラは、ゲイブリルを選びました。
それでは彼女のゲイブリルに対する愛はどのようなものだったのでしょうか。
物語では非常に献身的な姿が描かれます。
そこに忍耐という文字は似つかわしくなく、
彼女はありのまま、ゲイブリルのことがわからないながらも自然に彼の傍にいます。
母性的、無償の愛といえるでしょう。
しかしこれだけでは彼女の愛を説明するのに何か足りません。
なぜならイザベラは他の人に対しても無償の愛を持っているからです。
私は、無意識下で彼を選択したから、だから最も優先して無償の愛を注いでいるのだと思います。
恐らく彼女にも対象によって愛の強弱があるのだと思います。
以上のことから私は、イザベラの愛とはゲイブリルを最優先にした無償の愛のことなのではないかと考えました。
物語はイザベラが愛する人のために最大の恐怖に立ち向かうことで幕を閉じます。
様々な愛や思いが交錯する中で変わらないイザベラの姿は、深い感動を与えてくれます。